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福岡地方裁判所 平成2年(わ)1216号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  公訴事実及び争点

一  公訴事実

本件公訴事実は

「被告人は、福岡地方裁判所において審理中の収賄事件の被告人甲野二郎と親交を有するものであるが、右被告事件に関し、右甲野が右起訴にかかる昭和六三年三月一七日の金員収受の時刻ころには、同収受の場所である同人方にはおらず、他所にいたとする証拠をねつ造した上、同人の弁護人を介し、これを真正な証拠であるかのように装って同裁判所に提出するとともに、同事件の公判に証人として出廷し、右偽造証拠に基づき虚構の証言をすることを企て、外数名と共謀の上

第一  平成二年六月上旬ころから同年九月一三日ころまでの間、福岡県内において、被告人が保管していた昭和六三年用の手帳の三月一七日の欄に、『四時すぎよりA駅前ホルモン店にて、乙川局長、春ちゃん、秋正、私達二人、甲野局長と戊川さんに逢う』と書き加えるとともに、被告人が記載していた昭和六二年一月一日から同六三年五月三一日までの日記帳(大学ノート)から、同年三月一七日の事項が記載されている枚葉を引きはがし、別途同日の事項として、『四時すぎA駅前のホルモン店に行く。秋正、春ちゃん、乙川局長、私達二人。そこで、甲野局長と戊川さんくる。戊川さんは丙山Bさんと同級で友達との事、春ちゃんと顔なじみ。甲野さんが町に出ようと言われたが、乙川局長と私が断る。甲野さん、戊川さんは町に出る。』などと虚偽の記載をした枚葉を、右日記帳の右引きはがし部分に糊付けして前記甲野が前記起訴にかかる金員収受の日時には同県嘉穂郡A駅前のホルモン店にいたとする証拠をねつ造した上、平成二年九月一三日、福岡市中央区城内一番一号所在の福岡地方裁判所で開かれた前記収賄被告事件第四回公判廷において、右甲野の弁護人を介し、右日記帳及び手帳各一冊を、あたかも真正な証拠であるかのように装って同裁判所に提出し、もって他人の刑事被告事件に関する証憑を偽造してこれを使用し

第二  平成二年九月一三日、前記公判廷において、証人として宣誓の上、『昭和六三年三月一七日午後四時半か四〇分ころから、JRA駅前のM食堂というホルモン屋において、乙川三男、丙山春子等と飲食していたところ、同店に甲野二郎、戊川四男の二人が入ってきた。席は別々で飲食したが、午後八時三〇分ころほぼ同時に店を出た。甲野が一緒に飲みに行こうと誘ったが、断った。』『日記と手帳は大体毎日書いており、昭和六三年三月一七日の分は、その夜とその翌日に書いた。日記帳の三月一七日のページの焦げ跡は、書くとき煙草が落ちたもの。五月の終わりか六月の初めころ、甲野さんの奥さんから、六三年の手帳を持っていないかと聞かれ、家に帰って探したらあった。二、三日して甲野さんの奥さんが事務所に来たとき、三月一七日のことが書いてないですかと聞かれたので、手帳を開けてみたら、ホルモン屋で甲野さんと戊川さんに会ったことが書いてあった。奥さんは、ええっというような感じであり、私もそれを見てびっくりしたので、その手帳を弁護人に渡した。日記帳は、手帳を渡して二〇日か一か月位たったころ、探し物をしていたらでてきたので、直ぐ、これの方が詳しく書いてありますから、と言って弁護人のところに持って行った。』旨自己の記憶に反した虚偽の陳述をし、もって偽証し

たものである。」

というのである。

二 争点

これに対し、被告人の各弁護人は、被告人は、右公訴事実第一については、手帳の昭和六三年三月一七日欄に書き加えたことも、日記帳中の同日の記載のある枚葉を引き剥がして右引き剥がし部分に虚偽の記載をした枚葉を糊付けしたこともなく、同第二については、証人として宣誓の上、右手帳及び日記帳の記載等に基づいて公訴事実第二記載の証言をしたことは間違いないが、自己の記憶に反した虚偽の陳述をしたことはないから、いずれについても被告人は無罪であると主張し、被告人もこれに沿う供述をするので、以下検討する。

第二  本件起訴に至る経緯

関係証拠によると、以下の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない(「甲」、「乙」は検察官請求証拠の略、「弁」は弁護人請求証拠の略、「職」は職権で取り調べた証拠の略であり、これに続く漢数字は証拠番号である)。

一  平成二年六月二日、特別地方公共団体の役員である甲野二郎は、昭和六三年三月一七日ころ、福岡県嘉穂郡〈地番略〉所在の自宅において、戊川四男から、職務に関して現金二〇万円の供与を受けた旨の収賄の公訴事実で起訴され、同被告事件(以下「甲野事件」という)は福岡地方裁判所第二刑事部に係属し、その第一回公判期日において、甲野及び同人の弁護人徳永賢一弁護士らは、右現金授受を否認した。

二  被告人は、徳永弁護士に対し、平成二年六月一八日に昭和六三年度の衆議院手帖(平成三年押第一号の1、以下「本件手帳」という)を、同年八月一〇日に大学ノートを使った日記帳(同押号の2、以下「本件日記帳」という)をそれぞれ手渡し、同弁護士は、本件手帳及び日記帳の昭和六三年三月一七日欄に公訴事実第一記載の文言が存在していたことから、その都度、これらのコピー(その一部が弁七である)を作成した上、同弁護士事務所の金庫に保管し、これらが再び被告人の手元に戻ることはなかった。

三  徳永弁護士は、平成二年八月二三日の甲野事件第三回公判期日終了後、同事件の公判立会検察官である谷岡孝範検事に本件手帳及び日記帳を開示した上、本件日記帳の昭和六三年三月一七日部分のコピー(甲三八)等を作成して同検事に交付し、平成二年八月下旬から同年九月上旬ころ、同検事の希望により、本件日記帳全部のコピー(甲三九、四〇)を作成して同検事に交付した。また、徳永弁護士は、谷岡検事の要請で、同年九月三日から翌四日にかけて、本件手帳及び日記帳を同検事に貸し出した。

四  徳永弁護士らは、同月一三日の甲野事件第四回公判期日において、同事件公訴事実の現金受供与の日時のアリバイ証拠として、本件手帳及び日記帳の取調べを請求するとともに、被告人の証人尋問を請求し、裁判所は、これらを採用して、本件手帳及び日記帳を取調べの上領置し、被告人の証人尋問を実施した。被告人は、同期日の公判廷において、宣誓の上、本件公訴事実第二記載の証言をした。

五  谷岡検事は、同月一八日、裁判所から本件手帳及び日記帳を借り受け、甲野事件の公判立会検察官である石井政治検事が、これらを福岡県警察本部科学捜査研究所に持参して、同所係官に筆記用具の異同等の鑑定を依頼したところ、同所係官から、本件日記帳の昭和六三年三月一七日前後の頁に不自然な糊付けがされているとの報告があり、同検事らは、その後、本件手帳及び日記帳の外観、筆記用具、糊の成分等について数度の鑑定を依頼し、被告人その他の関係者を取り調べるなどした上、本件公訴を提起した。

第三  本件日記帳の外観及び糊付けの異常等

一  村上栄治郎の検察官調書(甲三四)によれば、本件日記帳として使用された大学ノートは、コクヨ株式会社製の「ノ-10A」という製品であり、同ノートは、糸を使用しない無線とじの方法で製本されており、B4大の用紙の中央にミシン目をつけてそこから二つに折り畳んだもの(以下「枚葉」という)を五〇組重ね、糊(コクヨブレンドNO11)で背固めし、背クロス巻きした構造になっていること、枚葉間の糊付け幅は、JIS規格に従って、二ミリメートル以上にならないようにしているが、製造工程からして、糊の深入りが生じる場合には、一部の枚葉のみならず、全枚葉に及ぶこと、糊付けの後、紙片の断裁が行われる製造工程になっているから、ノート本体から一部の枚葉が突出するということは、製造工程ではありえないことが各認められる。

二  福岡県警察本部科学捜査研究所技術吏員古賀秀作成の鑑定書(甲一〇、以下「古賀鑑定書」という)、古賀秀の証人尋問調書写し(弁三二)、第二回公判調書中の証人若松豪の供述部分によれば、平成二年九月一八日から同月二七日の時点において、本件日記帳は、綴じ部に変形が生じていて、表紙が裏表紙より全体に右に歪んだ状態になっており、また、上方綴じ部において、昭和六三年三月一七日欄の記載がある用紙から後の部分にズレ(紙端の乱れ)があり、これら綴じ部にズレが認められる用紙において、綴じ部の反対側の紙端にも綴じ部のズレ幅分のズレがあったこと、枚葉間の糊付けについて、昭和六三年三月一七日欄の記載がある組の用紙(以下「本件枚葉」という。なお、以下では、原本の当該部分のみならず、コピーの当該部分についても単に本件枚葉という)の一組前の用紙(以下「前枚葉」という。なお、同前)まで及び本件枚葉の一組後の用紙(以下「次枚葉」という。なお、同前)以降は、通常の幅の糊付け状態であるが、本件枚葉と前枚葉との間では、上方から中央部にかけて最大幅約八ミリメートルという異常な幅で接着されていて、前後の頁の罫線が重なる状態となっており、本件枚葉と次枚葉との間では、中央付近で約一一ミリメートルというこれまた異常な幅で糊付けされており、前後の頁の罫線が重なる状態となっていたこと、本件日記帳の紙数は本来一〇〇枚で、現状は九七枚となっているが、途中三枚が剥ぎ取られていることから、枚数について不自然なところはなかったことが各認められる。

三  検察官石井政治作成の実況見分調書(甲七)によれば、平成二年一〇月二九日の時点においては、本件日記帳の背の反対側及び下端から本件枚葉と次枚葉が飛び出しており、上端においては、窪みがみられ、その始まりは本件枚葉であったこと、前枚葉と本件枚葉は幅約八ミリメートル(中段付近)にわたって、本件枚葉と次枚葉は幅約七ミリメートル(中段やや上付近)にわたって、それぞれ直接糊付けされていたことが各認められる。

四  福岡県警察本部科学捜査研究所技術吏員福山晴夫作成の鑑定書(甲一三、一七、三〇、三三、以下「福山鑑定書」という)によれば、同年一〇月二六日から同年一一月九日の時点においては、本件枚葉以前と以降とでは段差がみられ、また、前枚葉と本件枚葉、本件枚葉と次枚葉、次枚葉と次々枚葉とは互いに直接糊付けされた状態であったこと、本件日記帳に使用されているコクヨブレンドNO11というコクヨ社専用糊は、ポリビニルアルコール ♯五〇〇を若干含むポリ酢酸ビニル系エマルジョン接着剤であって、前枚葉以前及び次々枚葉以降の背クロスの接着部分にはこれと同種の糊が使用されているが、前枚葉と本件枚葉が直接接着している部分、本件枚葉と次枚葉が直接接着している部分及び次枚葉と次々枚葉が直接接着している部分には、コクヨブレンドNO11とは異質のポリビニルアルコール ♯二〇〇〇に類似する糊が使用されており、日記帳の背綴じ上部からは、コクヨブレンドNO11とは異質のポリビニルアルコール ♯五〇〇が検出されたことが各認められる。

五  村上栄治郎の検察官調書(甲三四)によれば、同年一二月二六、二七日の時点においては、本件枚葉以降が、背クロス・背固めから剥離しており、右剥離箇所が再糊付けされた形跡があり、本件枚葉と次枚葉が、背の反対側から突出し、また、日記帳の下端から突出しており、日記帳の上端においては、本件枚葉以降が落ち込んでズレができていたこと、前枚葉と本件枚葉とは、幅約八ミリメートルにわたって、本件枚葉と次枚葉とは、幅約七ミリメートルにわたって直接糊付けされていたことが各認められる。

六  千葉大学工学部画像工学科教授小倉磐夫作成の鑑定書(職八、以下「小倉鑑定書」という)、小倉磐夫に対する証人尋問調書(職九、以下「小倉証言」という)によれば、平成四年九月ころから同年一二月三〇日の時点においては、本件日記帳は新品のノートと比較した場合に背の部分がかなり特異な変形を示しており、表紙を閉じて見たとき、表紙は右にずれ、裏表紙は左にずれ、その食い違い量は約一一ミリメートルに達していたこと、前枚葉の四ページ目から後の部分はかなりくずれた形跡が見られるが、それ以前の部分にはさほどくずれが見られなかったことが各認められる。

七  裁判所書記官宮下修作成の検証調書(職一〇)によれば、平成五年六月八日の時点においては、背クロスが背表紙から表紙にかけて内側へ約四五度歪み、その背クロスは外側へ湾曲していたこと、本件日記帳中、一部の枚葉が他の枚葉からずれて飛び出していたこと、前枚葉と本件枚葉の接着部分は、下端約二・五センチメートルの部分が剥離しており、上端から約一センチメートルないし約二・五センチメートル及び約七・三センチメートルないし約一三センチメートルの部分は、背クロス手前において相互に直接接着していたこと、本件枚葉と次枚葉の接着部分は、下端から約四・五センチメートルの部分が剥離しており、上端から約七・三センチメートルないし約九・八センチメートルの部分は背クロス手前において相互に接着していること、剥離の確認できないいずれの箇所においてもその最深部において接着しているかどうかは確認できず、その他の箇所には特に異常は見受けられなかったことが各認められる。

八  警察庁技官丸茂義輝作成の鑑定書(職一二、以下「丸茂鑑定書」という)、第二五回公判調書中の証人丸茂義輝の供述部分(以下「丸茂証言」という)によれば、同年一一月一六日から平成六年一月一〇日の時点においては、本件枚葉は、背の部分から離れ、若干浮いた状態であり、本件枚葉の部分において、背の部分の下部及び背の反対側において、段差が認められたこと、本件枚葉と前枚葉及び次枚葉とがノート中心部付近において正常な状態よりも幅広く接着されていたこと、本件枚葉と前枚葉及び本件枚葉と次枚葉とは、それぞれノート下部において剥離していたこと、前枚葉と本件枚葉は、上端の下約〇・七センチメートルの位置から下端の上約八センチメートルの位置までノート中心部において最大幅約〇・八センチメートルの接着痕が認められ、それより下部においては、本件枚葉と前枚葉とは剥離していたこと、本件枚葉と次枚葉は、上端から下辺の上約一一・五センチメートルの位置にかけて最大幅約〇・八センチメートルの接着痕があり、それより下部では接着痕は認められなかったこと、下端からその上部約四・五センチメートルにわたって本件枚葉と次枚葉とは剥離しており、下端の上約四・五センチメートルの位置からその上部約七センチメートルの間においては、本件枚葉と次枚葉とはノート背の部分のみで接合された状態であったこと、前枚葉と本件枚葉及び本件枚葉と次枚葉との間の接着痕が認められない部分からは、ポリ酢酸ビニル系エマルジョン接着剤が顕著に認められ、ポリビニルアルコール系接着剤が混在することは証明できないことが各認められる。

九  右の各事実を総合すると、平成二年九月一八日から同月二七日の時点において、本件日記帳は、綴じ部に変形が生じていて、表紙が裏表紙より全体に右に歪んだ状態になっており、また、上方綴じ部において、本件枚葉以降の部分にズレ(紙端の乱れ)が認められ、また、枚葉間の糊付けについて、本件枚葉と前枚葉との間では、上方から中央部にかけて最大約八ミリメートルの幅で、本件枚葉と次枚葉との間では、中央付近で約一一ミリメートルの幅でそれぞれ製造工程で使用されたものとは異なる糊で接着されており、いずれも前後のページの罫線が重なる状態となっており、さらに、同年一〇月二九日の時点においては、本件日記帳の背の反対側及び下端から本件枚葉と次枚葉が飛び出しており、上端においては、窪みがみられるという状態になっていたことが認められ、このような外観が、通常のノートの製造及び使用の過程で生じるものではないことは、前記村上栄治郎の検察官調書から明らかである。

第四  被告人による本件日記帳改ざんの有無

一  検察官は、被告人(被告人との共犯者を含む。以下同じ)が、本件日記帳から本件枚葉あるいは本件枚葉と次枚葉に相当する枚葉を引き剥がして、虚偽の記載をした別のノートの枚葉を右引き剥がし部分に糊付けした(以下「一次改変」という)が、その後の糊の乾燥等により枚葉間が剥離したため、徳永弁護士らが甲野事件の公判裁判所に提出するまでの間に、枚葉間に再度糊付けした(以下「二次改変」という)ことにより、異常な糊付け状態が作出されるとともに、挿入された枚葉が完全に右引き剥がし部分に納まりきれなかったために、紙端の乱れや本件枚葉と次枚葉の二枚葉がノート本体から飛び出すという異常が生じたものであると主張する。

そこで、検察官の具体的主張について順次検討することとする。

二  前記第二の一、二で認定したとおり、本件日記帳のコピー(甲三八、三九、弁七)は、被告人が徳永弁護士に日記帳を渡した後に作成されたものであるところ、これらのコピーには、前枚葉と本件枚葉との間、本件枚葉と次枚葉との間には異常な糊付け状態が写っていないのであるから、被告人が、本件日記帳を同弁護士に渡す前に、右枚葉間に前記の異常な糊付けをしていないことは明らかである。

検察官は、弁護人が被告人から本件日記帳を渡された後に作成したコピー(甲四〇、弁一)の次枚葉と次々枚葉の間の中央部の縦線が緩やかな曲線を描いているとして、これを被告人による一次改変の痕跡であると主張するが、右コピーの縦線が、異常な糊付けを推測させるほどに湾曲しているとみることはできない上、古賀鑑定書(甲一〇)によると、平成二年九月二〇日から同月二七日までの間において、前枚葉と本件枚葉との間、本件枚葉と次枚葉との間以外には異常な糊付け箇所はなかったというのであるから、前記各コピーの縦線の湾曲をもって、被告人による一次改変の痕跡とみることはできない。

三  前記第三の四で認定したとおり、本件日記帳の背綴じ上部にも異常な糊の付着が認められ、この糊の成分(ポリビニルアルコール ♯五〇〇)は、本件日記帳として用いられた大学ノートの背綴じ用の糊の成分(ポリビニルアルコール ♯五〇〇を若干含むポリ酢酸ビニル系エマルジョン)とも、前枚葉から次々枚葉にかけての枚葉間の異常な糊の成分(ポリビニルアルコール ♯二〇〇〇)とも異なっているところ、検察官は、この点をとらえて、背綴じ上部の糊は一次改変の存在を推認させるものであると主張する。

しかし、背綴じ上部の糊が、枚葉間の糊が付着する以前に付着したという証拠は何ら存在しない上、仮に、一次改変の際、背綴じ上部の糊が付着したとすれば、前枚葉と本件枚葉との剥離部分からも背綴じ上部の糊と同一のポリビニルアルコール系接着剤の成分が検出されるのが自然であるのに、前記第三の八で認定したとおり、右剥離部分にポリビニルアルコール系接着剤の混在は証明できないのであるから、背綴じ上部の糊の付着をもって一次改変の存在を推認することはできない。

四  本件日記帳が甲野事件の公判裁判所に提出される以前に作成されたコピー(甲三八、三九)のうち、前枚葉と本件枚葉との間を写したものの中央部には黒色の縦線が写し出されていることが認められるところ、検察官は、これが一次改変で接着した糊が剥がれたことによる背割れを示すものであると主張する。

キャノン株式会社複写機開発センター技術評価室徳原満弘作成の鑑定結果報告書(甲四三)、右徳原満弘外二名作成の「鑑定書に対する御質問事項(平成三年二月七日付FAX)に対する解答書」と題する書面及び第七回公判調書中の証人三宅信行の供述部分(甲四六)は、甲三八については、同コピーにはミシン目が写っていること及び同コピーの中央部の縦線はシャープな黒線であって、線の両側にハーフトーン(白色と黒色の中間色)が出ていないことから原稿がコピー機原稿台ガラスに密着した状態かこれに近い状態であったと考えられるが、右縦線が太いので、右縦線は原稿である本件日記帳に糊剥がれによる背割れがあったことを示すものと考えられ、甲三九の中央部の縦線についても、太い黒線の右端がシャープであることから、これをハーフトーンとは考えられず、やはり、原稿である本件日記帳に糊剥がれによる背割れがあったことを示すものと考えられるという検察官の右主張に沿うものである。しかし、右の鑑定等は、本件日記帳全体の歪みや左右の頁の最上部の罫線間の距離あるいは罫線の湾曲等本件日記帳に特有の事情を捨象して、各コピーと同様の画像を得るためには原本がいかなる状態である必要があるかを単に一般的に考察しているに過ぎないきらいがあり、右の鑑定結果を直ちに採用することはできない。

他方、前記小倉鑑定書及び小倉証言は、平成二年八月一〇日に作成されたコピー(弁七)のうち、前枚葉と本件枚葉との間を写したもの、甲三八、甲三九のそれぞれの中央部の縦線については、各コピーの左頁の最上部罫線右端と右頁の最上部罫線左端との距離がほぼ一定であること及び各コピーの最上部罫線と最下部罫線が湾曲していることから、各コピーの中央部の縦線が原稿である本件日記帳に背割れがあったことを示すものとは考えがたく、甲三九の中央部の縦線は、右各コピー作成の際使用された複写機キャノンNP-三八二五が右斜め下方向から光線を照射する作動機構を採用しており、原稿である本件日記帳の背が特異な変形をしていて、左頁の枚葉接着部分が綴じ目よりも右に傾いたために生じた紙の折れ返り部分のふくらみの一部の傾斜が約六五度の角度を越えたために生じたふくらみの影(右片影の現象)及び綴じ目に合わされる原稿の左右の紙面相互の間の光線が反射を繰り返し吸収されてコピーに細線を作る現象(光トラップ現象)によるものと考えられ、甲三八及び弁七の中央部の縦線は、左頁の小さな折れ返りによる段差あるいは光トラップ現象によるものと考えられるというものである。右小倉鑑定にも、各コピー作成の際、使用された複写機キャノンNP-三八二五を使用した時間はわずか二〇分くらいであったことなど時間不足の感は否めず、また、最上部罫線の湾曲の程度から同所のコピー機原稿台ガラスからの浮き上がり量を計算して右片影の現象が生じる紙面のふくらみの角度を作図により算出しているが、右浮き上がり量及び角度について誤差が生じる余地がある上、枚葉の上部と下部とにねじれ(コピー機原稿台ガラスからの浮き上がり量が異なること)が存する可能性があるにもかかわらず、最上部罫線の湾曲の程度から算出した浮き上がり量を枚葉中段及び下部にもそのままあてはめて計算していることなどの問題点を指摘できるが、同鑑定は、本件日記帳全体の歪みや左右の頁の最上部の罫線間の距離あるいは罫線の湾曲等の本件日記帳に特有の事情及び各コピー作成の際、使用された複写機キャノンNP-三八二五の特性を考慮したものであって、その推論過程も合理的なものということができ、右の合理性は前記実験誤差により減殺されるものではないことに鑑みると、同鑑定の信用性を否定することはできないというべきである。

以上を総合すると、平成二年八月一〇日に作成された前枚葉と本件枚葉との間のコピー(弁七)、同月二三日に作成された同じ箇所のコピー(甲三八)、同月下旬から同年九月上旬ころに作成された同じ箇所のコピー(甲三九)のそれぞれの中央部の縦線をもって、原本である本件日記帳の当該部分に当時背割れがあったと認定することはできない。

五  以上のとおり、本件日記帳の外観及び形状、異常な糊付けの状態及び糊の成分、日記帳のコピー等からは、被告人による一次改変を直接的に認定することはできない。

しかし、前記第三の二、三で認定したとおり、平成二年九月二七日までの時点において、本件日記帳は、本件枚葉以降の部分に紙端の乱れがあり、同年一〇月二九日の時点において、本件枚葉と次枚葉の二枚葉がノート本体から飛び出しており、丸茂鑑定書及び丸茂証言によれば、本件枚葉と前枚葉は、異常な糊付けにより接着された以外の部分では剥離しているが、本件枚葉と次枚葉は、下端の上約四・五センチメートルの位置からその上約七センチメートルの間において互いに背の部分のみで接合された状態であることが認められるというのであるから、これらの事実を総合すると、〈1〉本件日記帳の本件枚葉と次枚葉に相当する二枚葉を引き剥がし、別のノートから接合したまま引き剥がした本件枚葉と次枚葉を本件日記帳に糊付けしたか、若しくは、〈2〉本件日記帳から本件枚葉と次枚葉の二枚葉を接合したまま引き剥がし、再び以前の位置に糊付けしたという可能性が最も高いということができる。なお、右〈1〉、〈2〉のほかにも、本件枚葉のみ(又はこれに相当する一枚葉)をノート本体から引き剥がして、再び(又は別のノートの一枚葉を差し替えて)糊付けし、あるいは、本件枚葉と次枚葉の二枚葉を接合したまま上端から途中まで引き剥がして再び糊付けした可能性も一応考えることができるが、前者は、本件枚葉と次枚葉が背の部分のみで接合されていたという丸茂鑑定書、丸茂証言と矛盾し、後者は、本件日記帳の本件枚葉と次枚葉の二枚葉ともノート本体から飛び出しているという異常な状態と矛盾するものであって、いずれもその可能性は低いと考えられる。

そして、丸茂鑑定書によれば、前枚葉と本件枚葉の剥離部分からは、本件日記帳(大学ノート)の製造工程で使用された糊と同種のポリ酢酸ビニル系接着剤しか検出されなかったというのであるが、丸茂証言によると、市販されているポリ酢酸ビニル系接着剤としてはセメダインやボンドがあり、これらの接着剤が前枚葉と本件枚葉との接着に用いられたとすれば、その剥離部分からポリビニルアルコール系接着剤の混在は証明できないというのであるから、被告人が、本件日記帳を徳永弁護士に渡す前に、前記〈1〉の方法で、別のノートから剥ぎ取った二枚葉をセメダインやボンドを用いてノート本体に接着させていたという可能性を否定することはできないこと、改ざん前の次枚葉に相当する枚葉のどこかにM食堂で戊川らと出会った旨の記載があった場合や、改ざん前の本件枚葉に相当する枚葉の末尾の記載と次枚葉に相当する枚葉の最初の記載が一文で連続していた場合など、二枚葉とも剥ぎ取って差し替える必要がある場合も考えられること、前記四で指摘したとおり、小倉鑑定書及び小倉証言は、甲三九の中央部の縦線は、本件日記帳の背が特異な変形をしていることによって生じたものであるというのであるから、被告人が、前記〈1〉の方法で改ざんしたことにより本件日記帳が変形したという可能性も十分考えられること、以上の諸点に徴すると、被告人が一次改変を行ったとする検察官の主張も一応は合理性を有するということができる。

しかしながら、本件枚葉と次枚葉の接着にセメダインやボンドが用いられた、あるいは、本件枚葉のほか次枚葉をも改ざんする必要があったというのは単なる可能性に止まるもので、これらを窺わせる証拠は皆無であり、複写機でコピーを繰り返すことにより大学ノートに変形が生じることは一般に有り得ることであって、小倉鑑定書及び小倉証言のいう本件日記帳の特異な変形を一次改変に起因するものと断ずることはできない。

また、澤村貴和作成の鑑定書(職六)及び証人澤村貴和に対する尋問調書(甲八〇)によれば、製造月の異なるノートの枚葉間の紙中無機元素と同じノートの枚葉間のそれでは、前者の方が標準偏差の値が大きいという結果が出ているが、これは製造ロット(抄紙機で一回巻き上げた約二〇トンの単位)の異同によるものと推定することができるところ、本件枚葉と他の枚葉との紙質を比較すると、厚さ、坪量、酸性度、蛍光反応、紙表面のフェルトマーク(きめ)等において有意な差異は認められず、汗等による汚れの影響を受けないマグネシウム量について、本件枚葉の値が平均値プラスマイナス標準偏差の三倍を超えているものの、これは有効数字の取り方によるものであって、結論としては有意な差異はなく、本件枚葉が本件日記帳の他の枚葉と同一のロットで製造された可能性があるというのであるから、本件枚葉が元々本件日記帳の一部を構成していたものである可能性も相当程度に存在するということができ、このことは、被告人による一次改変の可能性を減殺するというべきである。

したがって、本件日記帳の形状、糊付け等からは、被告人が一次改変を行った事実を推認することもできないというべきである。

六  検察官は、二次改変の時期及び主体について、被告人又はその共謀者が、本件日記帳を甲野事件公判裁判所に提出する前にこれを行ったと主張するが、そのことを窺わせる証拠はなく、むしろ、古賀鑑定書及び実況見分調書(甲七)によれば、前枚葉と本件枚葉、本件枚葉と次枚葉との間の糊付け幅はその他の枚葉間の糊付け幅に比べて異常に広く、ノートが完全には開かない状態なのであるから、比較的容易に気付くはずであると考えられるのに、甲野事件第四回公判期日における本件被告人の証人尋問調書謄本(甲四)によると、同証人尋問において、検察官はしばしば本件日記帳の本件枚葉及びその前後の頁を開いて尋問しているのに、糊付けの異常さに気付いていないことが窺われることに照らすと、右の異常な糊付けは、右公判期日の時点では存在していなかったのではないかという疑いを抱かざるをえない。

七  以上の次第で、本件日記帳の異常な形式や糊付け等からは、被告人が一次改変・二次改変によってかかる状態を作出した旨の検察官の主張を採用することはできないというべきである。

なお、弁護人は、一次改変・二次改変はともに本件日記帳が甲野事件公判裁判所に提出された後になされたものである疑いが強いとして、捜査関係者による改ざんの可能性を示唆するので、付言するに、本件日記帳の枚葉間の異常な糊付けが裁判所提出後になされた疑いがあることをもって、直ちに、検察官や福岡県警察本部科学捜査研究所係官らの捜査関係者が、前記〈2〉の方法によって本件日記帳の改ざんを行った可能性が高いとの結論を導き出すことはできない。すなわち、捜査関係者が、本件枚葉のほかに次枚葉をも剥ぎ取る合理的な理由は見出しがたい上、前枚葉と本件枚葉との間を糊付けする場合において、本件日記帳が裁判所に提出される前に弁護士によってコピーが取られていることを知りながら、枚葉間に一見して異常な糊付けと分かる糊付けをし、下端から約八センチメートルもの部分を糊付けしないで剥離したまま放置する(前記第三の八で認定したとおり、右の剥離部分からは枚葉間の異常な糊付けに使用されたポリビニルアルコール系接着剤の成分は検出されていない)というのは極めて不自然と考えられ、また、セメダインやボンドを用いた前記〈1〉又は〈2〉の方法による改変の後、糊の乾燥等によって枚葉間が一部剥離し、裁判所提出後に本件日記帳を手にする機会のあった者が、単に修復の意図で枚葉間の剥離部分に糊付けしたなどの可能性も否定できないからである。

したがって、本件日記帳の改変が前記〈1〉、〈2〉のいずれの方法によるものか、その時期及び主体、枚葉間の異常な糊付けをした主体及び理由は、いずれも証拠上不明というほかはない。

八  検察官は、本件手帳及び日記帳の昭和六三年三月一七日欄の記載が虚偽であることは明らかであるから、同日欄を含む本件枚葉が改ざんされたこともまた明らかであると主張する。

確かに、甲野事件における戊川四男の証人尋問調書謄本(甲六〇)、第三回公判調書中の証人戊川四男の供述部分のうち、宿直明けの昭和六三年三月一七日の午前中に銀行から二〇万円を下ろし、同日の午後五時半過ぎに甲野二郎方を訪れて現金二〇万円を手渡した、同日には甲野と一緒にM食堂に行っていない旨の供述部分は預金の引出し及び宿直明けなど客観的根拠に基づくものである上、甲野二郎の検察官調書(甲七三、七四)中の戊川の宿直明けの日に同人と一緒にM食堂に行ったことはないとの部分とも符合していて、信用性が高いと考えられる。また、本件日記帳の同月一七日の欄には、それまで面識のない戊川について、「戊川さんは丙山Bさんと同級で友達との事、春ちゃんと顔なじみだった。」と記載されているが、丙山春子の検察官調書(甲七五ないし七七)によれば、丙山春子が被告人から戊川との間柄を尋ねられて教えたのは、M食堂で甲野、戊川と会った数日以上後のことであるというのであるから、本件日記帳の右記載は当時知りえなかったはずの内容であり、後日改ざんされたということになる。これらの点に照らすと、公訴事実第一の本件日記帳の記載は虚偽である疑いがあり、右記載部分は何らかの方法により改ざんされたものではないかとの疑いを抱かざるをえない。

しかし、甲野事件における戊川四男の証人尋問調書謄本(甲六一)によると、同証言では、甲野に現金二〇万円を渡した日の特定が曖昧になっており、第四回公判調書中の証人丙山春子の供述部分によると、同証言でも、M食堂で戊川らと会った際に、同人のことを被告人に話したかどうかがやや曖昧であること、丙山春子の検察官調書(甲七五)によると、同人は、戊川と挨拶を交わしたというのであるから、被告人に対して戊川との関係を話した可能性もあると考えられることなどに徴すると、当裁判所で取り調べた証拠によっては、本件公訴事実第一の本件日記帳の記載が虚偽であるとまで断定することはできないというべきである。

検察官は、本件手帳の発見の日時・場所、手帳の記載内容を甲野夏子や冬田七郎に説明した際の状況、本件日記帳を弁護士に提出するまでの状況について、被告人と冬田の供述が大きく齟齬することをもって、被告人の右供述が虚偽であるというが、これらの点に関する被告人の甲野事件第四回公判期日における証言、本件の捜査段階における供述、本件第一二回公判期日における供述はほぼ一貫しており、他方、冬田の供述が被告人のそれよりも信用性が高いということは必ずしもいえないのであるから、両者の供述の齟齬をもって、被告人の供述が虚偽であると断定することはできない。なお、検察官は、被告人が第一二回公判において、甲野夏子から昭和六三年三月分の手帳のことを聞かれた時期が、甲野事件の起訴前である平成二年五月下旬であると供述していることをもって不自然であるというが、被告人の甲野事件第四回公判期日における証言では、同年五月終わりか六月初めころという幅のある供述をしており、甲野の妻である夏子が、夫が収賄の日として嫌疑をかけられている日を弁護人から聞いて知っていたとしても必ずしも不自然ではないというべきである。

その他、検察官は、被告人の平成二年度の手帳に、本件手帳及び日記帳の発見状況やこれらをめぐる甲野夏子とのやり取りが記載されていないこと、本件手帳及び日記帳には、M食堂に行った時間が「四時すぎ」と記載されていて、これが真実と異なること、本件日記帳の昭和六三年三月一五日の欄にはオートレースの購入車券の番号やレース結果が記載されているが、そのように詳しい記載は同日のみであり、しかも同日欄には、乙川のほか冬田も的中車券を購入していた旨の事実に反する記載があること、本件手帳と日記帳では、同月一七日の天候の記載がやや異なること、以上の諸点は、本件手帳と日記帳の同日欄の記載が虚偽であることを示すものであると主張するが、これらの点はいずれも右主張の決め手となるものではなく、これらを総合しても、本件手帳と日記帳の記載が虚偽であると断定することはできないというべきである。

九  以上のとおり、本件日記帳の改ざんに関する検察官の主張はこれを認めることができない。

第五  被告人による本件手帳の改ざんの有無

検察官は、本件手帳の三月一七日欄の記載は、その途中で別の筆記用具により記載されていることから、その部分については、後から書き加えられたものと考える旨主張しており、確かに、前記古賀鑑定書及び古賀の証人尋問調書写しは、本件手帳は外観的には紙端のズレや綴じ部の状態等に不自然なところは認められないが、三月一七日欄の記載文については、「ひる市役所に・・・行った」の文字(以下「前段部分」という)と、「四時すぎよりA駅前・・・甲野局長と戊川さんに逢う」の文字(以下「後段部分」という)とでは、色調に相違がみられ、赤外線の吸収率及び透過光線の透過率にも差異が認められることから、両者を記載した筆記用具(ボールペン)のインクの成分が異なっている可能性が極めて高く、断定はできないが、両者は異なる筆記用具により記載されたものと推定されるとしている。

しかしながら、第一二回公判調書中の被告人の供述部分、被告人に対する証人尋問調書謄本(甲四)及び被告人の検察官調書(乙四)によると、被告人は、本件手帳を記載する時間・場所について、当日の昼休みまでの出来事は、当日の昼休み時間中に勤務先の事務所で記載し、それ以降の出来事は、翌日の朝事務所で記載する(なお、甲四においては、当日の昼休み以降の出来事は、当日の帰宅後夜自宅で記載すると述べている)のであって、三月一七日欄については、前段部分は当日の昼休み時間中に記載したが、後段部分は翌日の朝事務所で記載した(なお、甲四においては、後段部分は当日の帰宅後夜自宅で記載したと述べている)、事務所には筆記用具が複数あると述べており、前段部分と後段部分は異なる機会に記載したものであって、それぞれ使用した筆記用具が異なることは不自然ではないし、後段部分の記載内容は、本件日記帳の昭和六三年三月一七日の記載内容とほぼ同一であって、前記のとおり、本件日記帳が改ざんされたものと認められない以上、後段部分も改ざんされたと認定することはできない。

第六  公訴事実第二の成否

公訴事実第二の被告人の証言中、本件手帳及び日記帳の記載内容と同旨の部分については、右に述べたとおり、被告人が本件手帳及び日記帳を改ざんした事実も、これらの記載内容が虚偽であるとの事実も認めることができず、本件手帳及び日記帳を徳永弁護士に提出した経緯に関する部分については、前記第四の六で判示したとおり、これを虚偽と認めることはできないから、いずれの証言も自己の記憶に基づくものでないと認めることはできない。

第七  結論

以上の次第で、被告人に対する本件公訴事実第一、第二については、いずれもその証明が不十分であって、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 仲家暢彦 裁判官 冨田一彦 裁判官 中園浩一郎)

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